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秋田地方裁判所 昭和46年(ワ)39号 判決 1972年11月10日

原告 戸嶋運治郎

被告 男鹿市

主文

被告は、原告に対し金三三六万三、〇八〇円およびこれに対する昭和四五年三月二七日から完済にいたるまで年五分の割合による金員を支払え。

原告その余の請求を棄却する。

訴訟費用は被告の負担とする。

この判決は原告勝訴部分にかぎり仮りに執行することができる。

事実

第一当事者の申立

(原告)

被告は、原告に対し金四〇〇万三、〇八〇円およびこれに対する昭和四五年三月二七日から支払済にいたるまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする、との判決ならびに仮執行宣言。

(被告)

原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする、との判決。

第二当事者の主張

(原告)

一  請求原因

(一) 本件ボヤおよび本件火災の状況

原告は肩書住所地に住み、かつ同所において「いこい食堂」と称する飲食店を営んでいるものであり、その南東側に隣接(約一・四メートル隔たる)して鈴木エツ方住家がある。

昭和四五年三月二五日午後五時五〇分ごろ、右鈴木エツは、自宅の風呂釜に石炭を焚いて風呂をわかしていたところ、風呂の煙突が建物の側壁を貫通して外へ抜け出るところの側壁ののし板が煙突の過熱のため燃え出した。右煙突はスレート製であるが、それが建物の側壁を貫通して外へ抜け出るところにはめがね石が入つておらず、単に建物の側壁に煙突がやつと通るほどの穴があいているだけであつた。

鈴木エツは直ちに右出火を発見し、自ら消火につとめるとともに男鹿市消防署に通報したところ、同消防署からは、予防係長船木勘治郎の指揮する消防隊が出動し、消火にあたり、ホースの筒先を屋内の階段から二階に引き込み、右出火場所の真上にあたる二階四畳半の押入れに放水した。やがて放水により火は外部から見えなくなつたが、右出火場所である煙突付近から白い煙のようなものがたちのぼつていたことから原告および付近住民から消防隊に対し「のし板をはがしてもつと注水するように」と再三にわたる要請があつたが消防隊は「大丈夫だ。あの白いものは煙ではなくて湯気だ。」といつて注水を拒否して引揚げた。

鈴木エツ方建物における右出火場所の側壁は、内側からモルタル、板、胴縁、ベニヤ板、貫、筋違を経て外側ののし板と重なり合つたようになつていて、それらと直角に柱と間柱が通つているというような複雑な構造になつているため、前記のような消防隊の放水の水は結局側壁内部まで届かず、右ボヤの火が風呂場の煙突が貫通する建物の側壁内部に残る結果となつた。

翌二六日午前四時二〇分ごろ、右残火は次第に勢を増し、遂に付近ののし板を再燃させ、夜間で発見が遅れたことからたちまち右鈴木エツ方を全焼させるとともに隣接する原告方住居兼店舗一棟を全焼させるにいたつた。

(二) 原告の損害

原告は本件火災により次の損害を蒙つた。

木造二階建店舗付住宅一棟 一五〇万円

家財道具、什器、衣類等 二〇〇万円

休業損失 五〇万円

本件火災の際の原告の負傷の治療費 三、〇八〇円

合計 四〇〇万三、〇八〇円

(三) 被告の責任

本件火災は、前記のとおりその前日のボヤの残火が再燃したことに原因するものである。右ボヤの際出動した男鹿市消防署の消防隊は、鈴木エツ方の風呂場の煙突付近の側壁が前記のような構造になつていて、出火がその複雑な構造の側壁を裸のままで貫通している煙突の過熱であるから単に建物の内外からの注水では側壁内部まで水が届かないおそれがあるので、のし板を破壊してその内部に集中的に注水しなければ、そこに火が残るかも知れないということを当然予想すべきであるのに、これを予想せず、前記のように原告らから「のし板をはがしてもつと放水するように」という要請を受けたにもかかわらずこれを拒否し、唯漫然と二階四畳半の押入れ内に放水しただけで外見上見える炎を消しただけで直ちに鎮火と判断して消火活動をやめてしまつた。

以上のことから、本件火災は、前日のボヤの際における男鹿市消防署の消火活動の不手際に起因するものであり同消防署に過失がある。そうすれば被告は国家賠償法一条により原告に対し、その損害を賠償すべき責を負う。

(被告)

二 答弁

請求原因事実中、ボヤの際、建物側壁内部に残火があつたこと、本件火災が、右残火によるものであること、ボヤの際原告および付近住民から消防隊に対し「のし板をはがしてもつと注水するように」という要請があつたこと、および消防隊に過失があることは否認、原告の損害は不知のほかその余の事実は認める。

本件火災は、前日のボヤの出火場所と反対側から出火したからボヤの残火によるものではない。

仮りに本件火災がボヤの残火によるものであるとしても、右ボヤの際男鹿市消防署の消防隊は、出火点直上二階四畳半の押入れ内部や二階一帯に注水し、出火点である風呂場煙突貫通部上部の外側のし板をはがして注水し、出火源である風呂釜にも注水し、その水量は一〇トンにもおよんだこと、消防隊は残火のないことを確かめて鎮火と判断し、部隊を引きあげた後も消防士長以下二名をその後約二〇分間現場に残し、残火による再燃を警戒したこと、また消防法二九条三項の趣旨から、消防活動においても家屋の破壊は最少限度にくいとめなければならないこと等から考えて、消防隊の消火活動は完全というべきであり、同隊が建物側壁内の残火を予見できなかつたとしても当時の状況からみてそれは不可能であつたから、本件火災につき男鹿市消防署には過失はない。そうすれば被告が国家賠償法一条の責を負う理由はない。

また、失火責任法によれば、鈴木エツは故意または重過失のないかぎり不法行為責任を負わず、かつ消防署の出動により同人の過失と原告の損害との因果関係は中断されたものというべきところ、その代りに新たに消防署の不法行為責任が発生するということは、前記法の趣旨にてらして権衡を失する見解といわなければならないので結局被告には不法行為責任がないものというべきである。

第三証拠<省略>

理由

一  本件火災について

請求原因事実中、ボヤの際消防隊が風呂場の煙突が建物の側壁を貫通する部分ののし板をはがして注水しなかつたこと、建物内部に残火があつたこと、本件火災が右残火によるものであること、ボヤの際原告および付近住民から消防隊に対し「のし板をはがしてもつと注水するように」という要請があつたこと、消防署に過失があつたこと、および原告の損害の点を除き、その余については当事者間に争いはない。

成立に争いのない甲第一号証、第四号証の一ないし三、証人伊藤金次郎、同平野良悦、同鈴木エツ、同鈴木マキ、同吉元政雄、同戸嶋静香、同船木勘治郎、同小玉銀一、同天野末吉、同大山駒吉の各証言、原告本人尋問の結果(一、二回)を綜合すれば、本件ボヤの際、最初に出火を発見した鈴木エツは、娘に命じて洗濯に使用するホースで屋内から出火部分に水をかけさせるとともに自らは外へ出て出火部分ののし板を雪べらではがしにかかつたら平野良悦もまさかりをもつてそれをはがしにかかり、さらに消防団員の人もそれに協力し、結局幅約二〇センチメートル長さ約六〇センチメートルののし板一枚ないし二枚もはがしたこと、鈴木エツおよび付近住民らが現場東側の川からバケツでリレー式で水を汲みあげ、右のし板をはがした個所に水をかけたが消防隊の注水はなかつたこと、消防隊が放水をはじめて約一〇分後外見上火が見えなくなつたが、出火場所から煙のような白いものがかなり沢山外へ出ていたことから原告と伊藤金次郎は現場に出動していた男鹿市消防団長の佐藤喜一郎に対し「のし板をはがしてもつと注水するように」と再三強く要請したが、同人は「あれは煙ではなくて湯気だから大丈夫だ」といつてとり合つてくれなかつたこと、その場は消防署員や消防団員が始終行き来していたところであるから原告らと佐藤喜一郎との右のやりとりが消防署員や他の消防団員らに聞こえる可能性は充分あつたこと、ボヤの際、消防隊の放水や鈴木エツらの注水は風呂場の煙突が建物を貫通する部分の側壁の内部まで届かなかつたため、火は側壁内部の木造部分に残り、次第に勢を増大し、結局その後一〇時間余を経て翌二六日午前四時二〇分ごろ再燃しはじめ、早朝で発見が遅れたため、本件火災にいたつたこと、消防隊は鈴木エツ方の前記側壁内部の構造を知らなかつたこと、本件ボヤが鎮火したとみられた後鈴木エツ方の電源は全部断たれたこと、同方一階六畳間で一時石油ストーブを焚いたが就寝時には消していること、男鹿市消防署が本件火災から数日後その原因の調査のため付近住民から聞き込みをしようとした際付近住民は本件火災が消防署の責によるものであるということから容易に調査に協力しようとしなかつたことなどの事実を認定することができ右に反する前記証拠の一部は措信できない。

なお、成立に争いのない乙第二号証の二によれば、本件火災当時風向は北西、風速四メートルであり、前記吉元、戸嶋各証言によれば、火は、鈴木エツ方の原告方に面した部分の西側、つまり二階に通ずる階段の方(風呂場はやや東側にある)から出ていたということであるが、いずれも建物内部がかなり燃えてから見たことであるから右事実をもつて前記認定を覆すことはできない。

二  被告の責任

男鹿市消防署は法により住民の生命身体財産を火災から保護すべき責任を有するところ、前記の争いのない事実および証拠による認定事実等に鑑みれば、同署はいやしくも消防の専門家であるならば、建物の側壁の構造を充分心得ていて、本件ボヤのような火災については煙突の過熱によりその接している側壁内部の木造部分が燃え出したのであるから他から炎を点火した場合と異なり炎の出ない以前から相当の時間炎の出ない燃焼が続き、そのような燃焼部分がかなりの広がりと深さをもつて存在するということを充分予見し、単に炎を消すのみならず炎を生じた元になる側壁内部の貫、胴縁、間柱などの角材の燃焼を消除するために、当該部分ののし板を相当範囲において破壊し、そこに集中的に注水すべきであるのに、右側壁内部の構造を知らないまま右のような注水をなさず、単に二階四畳半の押入れ内部に放水しただけで、鈴木エツらがのし板を一、二枚はがしてバケツで水をかけていたのを知りながらまた原告らから前記のように「のし板をはがしてもつと注水するように」という要請をうけながらこれを拒否し、鈴木エツらの右注水をもつて充分であると判断したのかそのほかに注水をしなかつたものであるから、同署の本件消火活動は不完全だつたというほかはない。なお原告らから前記のような要請を受けたのは消防署員ではなく消防団員であつたとしても、前記認定のとおり当人は男鹿市消防団長であり、また消防団員は消防署長の所轄の下に消防署員と一体となつて消防隊として消火活動にあたるべきものであることから(消防組織法一五条、消防法一条八項)消防団員の行為は即ち消防署の行為とみて差し支えないものというべきである。以上のことを綜合すれば、仮りに放水した水量が一〇トンにもおよび、消防隊の引きあげ後も約二〇分ぐらい監視員を現場に残したとしても、本件火災につき男鹿市消防署には過失があるものというべきである。

なお、被告の失火責任法との関連についての主張であるが、右主張は明確を欠くが、結局同法により火元である失火者さえも故意または重過失の場合以外は不法行為責任を免れるのに、消火活動にあたる消防署が過失の程度を問わずに不法行為責任を負うということは同法の趣旨から考えて権衡を失するというもののごとくである。

失火責任法の立法趣旨は、火事については、住民すべてがお互に注意すべきであること、類焼者を出すことは木造家屋が建てこんでいるという社会事情にもよること、また失火者は自らの財産をすべて焼失するのが通常であるのに、さらにこれに類焼者の莫大な損害をも賠償させるということは、いささか酷であるというような理由から古来わが国では失火者には損害賠償責任を負わせない慣習が存在したことによるものである。

また「失火」には不作為を含むのが通常であるから、既存の火災において失火者自身あるいは作為義務のある一般私人の消火活動の不手際のための再火災についても同法が適用されるのは当然である。しからば消防署の消火活動の不手際についてはどうであろうか。失火責任法その他関係諸法にこれを除外する規定はない。しかし、

今日火災の予防、消火については住民の一般的な責任のほかに国および地方公共団体が、重大な責任を負うことになつている(消防組織法、消防法)ことから、国および地方公共団体は専門的な知識や技術、および装備を擁し、住民の火災からの保護に万全を期している。即ち消防署は消火の専門家であり、職業人である。そうであるならば消火に際して消防署に課せられるべき注意義務も一般私人に比して高度なのは当然である。また賠償責任能力についても消防署の場合国または地方公共団体となるから私人に比して一般に高いといえる。したがつて、私人の失火者に対する失火責任法の宥恕の精神が、直ちに消防署にも妥当するとすべき合理性は乏しく、結局同法は消防署の消防活動の不手際におけるいわゆる「失火」には適用されないものといわなければならない。

以上のように解しても、当該消防署の消火能力の程度、千差万別たる火災の状況等諸般の事情に前記のとおり関係諸法に除外規定のないこと等を考慮すれば、消防署の消火活動の不手際における「失火」の判断すなわち過失の有無についての判断には、失火責任法の右精神が充分尊重されてしかるべきであつて、民事法の一般基準に立てばいわゆる軽過失が認められる場合でも、その程度によつてはその責任を否定する余地があるものといわなければならない。このように解することが、今日における国または地方公共団体の消防の責任と失火責任法の精神とを調和させるゆえんである。

以上の立論のもとに男鹿市消防署の本件消火活動における過失を考察するに、それが前記説示のとおりであつてみれば、到底失火責任法の精神から同署の責任を否定すべき範囲にとどまるものとはいえない。

また国家賠償法一条一項の「公権力の行使」とは、国家統治権にもとづく優越的な意思の発動たる作用に限定せず、いわゆる非権力的公行政作用をも含むと解するを相当とすることから、本件火災における男鹿市消防署の消火活動についての過失は同法のいわゆる公権力の行使にあたる公務員の職務上の過失となり、結局同署は右過失により違法に原告に損害を加えたことになり、被告は法にもとづき同署を設置する者として国家賠償法一条一項により原告の損害を賠償する義務を有する。

三  原告の損害

原告本人尋問の結果、およびそれによつて真正に成立したものと認められる甲第二三、二九号証によれば、本件火災により、原告は、その所有の木造二階建店舗兼住宅一棟、家財道具、什器、衣類等を焼失するとともに相当期間休業を余儀なくされ、さらに火災の際夢中になつて逃げるとき左膝蓋部挫傷の負傷したことが認められ、これに反する証拠はない。

そこで損害額についてであるが、まず建物については、原告本人尋問の結果、およびこれにより真正に成立したものと認められる甲第五、六号証によれば、その延坪数は一、二階で二九坪であり、昭和二四年に建築し、その後数回増改築したこと、現在新築するとすれば坪七ないし八万円であることが認められ、証人星野卓の証言によれば、坪一〇万五、〇〇〇円ないし一一万五、〇〇〇円の建物は一年に一・九パーセントの償却をするとみるのが相当であるということであるから、今本件建物を坪一〇万円とすれば、二九〇万円となるが、増改築の点は一応度外視して建築後二〇年とすれば、償却は三八パーセントなので

2,900,000×(1-0.38)= 1,798,000

の数式により一七九万八、〇〇〇円となるので、これを坪七ないし八万円に減じて考えれば、凡そ原告主張どおり一五〇万円が相当ということになる。

次に家財道具等動産についてであるが、原告本人尋問の結果、およびこれにより真正に成立したものと認められる甲第九ないし第二七号証(第二四号証の一ないし一五を除く)によれば、右各証記載の物品の価格はその購入当時のものであつて、その合計が一九五万七、五三〇円であることが認められる。そこで今これを一九五万円とみて、前記星野証言によれば火災保険をかける場合には家財道具の購入価格から二ないし三割を減価償却して計算するのが一般であるということから、その基準に準じて一律に三割を減ずれば一三六万五、〇〇〇円となる。

一方、成立に争いのない甲第二八号証によれば原告の年間の申告所得額は六九万円であるから月間所得は五万七、五〇〇円となり、前記星野証言によると月収の二五ないし三〇倍をその人の家財道具の総価格とみるのが妥当であるということから、原告の右月収を二五倍すれば一四三万七、五〇〇円となる。以上のことから原告の家財道具等の価格は控え目に見積もつて一三六万円とみるのが相当である。

次に、休業損害であるが、甲第二八号証、成立に争いのない甲第二九号、原告本人尋問の結果によれば、原告の休業損害額は原告主張どおり五〇万円とみるのが相当である。

最後に、本件火災の際の原告の負傷の治療費であるが、原告本人尋問の結果によつて真正に成立したものと認められる甲第二四号証の一ないし一五によれば、それは三、〇八〇円であることが認められる。

そうすると原告の本件火災による損害額合計は三三六万三、〇八〇円となる。

四  結論

以上の次第であるから、原告の本件請求は右の限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないからこれを棄却することとし、遅延損害金については、本件火災の日の翌日である昭和四五年三月二七日から完済にいたるまで年五分の割合による金員とし、訴訟費用につき民訴法八九条、九二条但書、仮執行宣言につき同法一九六条により主文のとおり判決する。

(裁判官 穴沢成已)

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